長谷邦夫はてなダイアリー・アーカイブ

長谷邦夫はてなダイアリーのバックアップです。今のところ更新は無い予定です。

宇都宮アート&スポーツ専門学校へ

●今日は1年?二年共に作品制作。
教官のT先生が、同人誌制作の編集確認のため、ネーム用紙の
コピーを盛んに生徒に要求していた…が…、が…、なかなか
全員のコピーは出ない。半分にもとどいていないようだ。
●T先生に「まんがNo.1シングルズ・スペシャル・エディション」を
進呈。帰途、文具を少々購入。喫茶店へ寄り、小説入力を例によって
チョッピリ。
●「下野新聞」の投稿マンガの選考で、入選のダブリが出たので
別の作品を選んでほしい〜という注文。一応、それに合わせたが、
でも連続で入選しても良い〜というのがぼくの考えだ。
投稿には「常連」がかならず出る。出るくらいでないと、その欄が
面白くならない。多くの人に入選させて「人気」を取ろうという
考えは、新聞としてはしごく最もに思える。
だが、そういうバラマキ入選を継続していると、掲載作品そのものが
平均化・平凡になって、読者は面白いと感じなくなる危険がある。
多くの新聞編集が、誰にでも理解出来る記事を〜という考えで紙面を
構成している。現在の新聞のツマラナサは、こんなところから生まれて
いるのではないだろうか。
どーでもイイような平凡記事ばかりである。
若い世代がほとんど新聞を読まないのも当然だ。
「読売」が小笠原のヒゲを剃ってしまうのと同じである。
ヒゲの無い小笠原では、ホームラン40本打っても、印象に残るのは
その半分だろう。「巨人」のつまらなさは、編集のつまらなさにも
繋がっていやしないか??
●『白く染まれ』を抜き読みしていたら、ぼくの名前が1箇所!
出てきた。末井昭サンが飲みに行ったとき、奥成達らと、なにやら
高級なシリトリ遊びをしていたという記述があった。
末井さん、有難う御座います。これで「ホワイト」の歴史に名を
残せます。彼とは、今年新潟のマンガ学会大会・総会の楽屋で
久しぶりにお会いした。「ホワイト」に来たときの彼はまだ若き
新人編集者だったようだ。
ぼくには出来ないシリトリだった〜なんて、そんな高度なものでは
無かったはずですよ。
★アマゾンのぼくの著作リストに『反共宣言』 (1949年・古書)
なるものがリストアップされている。????
このような本を書いた記憶が全く無い。何かのマチガイだろう。
在庫切れ〜となっているが、へんなこともあるなあ。