長谷邦夫はてなダイアリー・アーカイブ

長谷邦夫はてなダイアリーのバックアップです。今のところ更新は無い予定です。

さあ、明日より旅講師です

◎明日は宇都宮アート&スポーツ専門学校
イラスト・コース2コマ授業である。
 1月締切りの同人雑誌原稿の製作開放〜の
予定だ。多分、未完成の人が多いと考える。
2005年1月の記録を見ると、通常授業を
している。仕上がっているようであったら、
この課題をやることにする。
◎終了後、昼食休憩を摂って名古屋市へ向かう。
栄の名古屋ガーデンパレスにて1泊する。
11日が椙山女学園大学の今期最終講義。
「マンガの可能性」について。
通常2コマ講義だが、最終日は1コマにしている。
ペーパーテストを行わず、この日にレポート提出の
ためだ。これも例年通り。
◎終了後、大垣へ向かう。同市で1泊し翌木曜日が
大垣女子短期大学の<アニメーション論>と<マンガ史>。
マンガはひかりのまち』(浅野いにおを取り上げる。
アニメはメトロポリスだ。
ここはたしか、2月第一週まで講義があるはずだ。
講義終了後、直帰〜という旅のスケジュール〜
今年も昨年と変わらぬかたちで対応する。
◎『絶望期の終り』ほぼ半分まで読み進んだ。
どれも全く同じ構造で構成されていて「物語」は
ほとんど無い。一種のモノローグ・ドラマに近い。
絶望的オタク妄想男を少女が徹底してやりこめる話しだ。
ここまでは、予想以上に分かり易い作品だ。
やはり、この人の作品は、こうした単純な展開に対し
異常なほど細密に描き込まれた画面(それも一切トーン
などを使用せず、ペン画タッチ)にこだわる意味が
不思議〜ということであろうか。
 その意味は、まだぼくには分からない。作者の単なる
好み・くせだと、特に意味を追求せず読む人もいるだろう。
狙っているユーモアは、洗練されてはいない。
 むしろこのダサさがストレートで魅力〜という方向だ。
ぼくは、ずいぶん昔むかし赤塚不二夫が雑誌「りぼん」に
短期連載した『へんな子ちゃん』という徹底した残酷イジワル
マンガを思い出してしまった。
 へんな子は現在では差別語かもしれぬ<コジキ>などを
残酷にイジメ、彼を絶望させ死に追いやる〜といった短編
であった。
 後に「週刊女性」の連載に登場させたが、完全に不完全
燃焼に終わったキャラクターである。アルコールにやられ
ろくにアイデアをやろうとせず、幼い作品に終わった。
60年代の作品と比べてみたら、その差は歴然である。
 絶望男は死なない。だが絶望感が無いと生きていけない〜と
いうあたりの面白さを、若い読者はどう読んでいるのであろう。