長谷邦夫はてなダイアリー・アーカイブ

長谷邦夫はてなダイアリーのバックアップです。今のところ更新は無い予定です。

ちょっと地震が

★朝、7時半少し過ぎに、地震アリ。
 震度3弱か。ここ数日、続いているような…。
 晴れて、雪は溶けているが、大量に残っている。
★★購入図書。
 「週刊文春
 アマゾンから
 『りびんぐでっど!』(2)の後に(1)が到着。
  読めるな…。
 「ビジュアル版・はやぶさの大冒険」(山根一真・監修)
 ちょっと、考えているアイデアの関係で…サテ。

■ミクシイでのメッセージを貼り付け■
ミクシーメッセージですみません。
目下「桜三月散歩道」拝読中であります。
わざわざメールしたかったのは長谷さんの生い立ちとほとんど被っており、
懐かしさの余り、これは忘れない内に一度お知らせせねばと思ったのです。
長谷さん幼年期の江戸川と私は荒川(正確には荒川放水路)の土手っぷちで泥んこまみれで遊んだ過程、私は足立区の江北と云う下町育ちです。
荒川土手という停車場から都バスで王子駅もしくは田端の駅に行くのが唯一の交通機関でした。
毎月21日に縁日が開かれる西新井大師までは悪ガキ共を引き連れて歩いて行ったものです。
ガマの油売りの口上やインチキ占い師の予言等を見て回りながら安物の陶器茶碗売りのオッサンと仲良しになったり冒険の日々を思い浮かべました。

母方の生家が宮城県登米郡でしたからこれまたビックリ!
文中に出て来る東北本線小牛田駅の(ここまで車中大人しくしていると小牛田饅頭を買ってくれた)二つ先の瀬峰駅で当時ガソリンカーと呼んでいたマッチ箱のような一輛の電車に乗り換えて佐沼と云うちっぽけな駅で午前中一本午後に一本しか来無いバスを待つか、叔父が牛車で迎えに来てくれるのを待つか?(笑い)のどかなものでした。
しかし当時子供心に不便と思った事が無く,むしろ祖母の待つもっともっと田舎へ辿り着く事が最高に楽しい旅だったのです。
ページが進むととうとう芝商までリンクして、実は私も芝商を受験して、、、、私の場合は芝商受験に失敗して公立受験の前に受かっていた私立の商業高校に通いましたが。
珠算塾に通い二級検定を受けたり、書き切れないほどにリンクしているのです。

この度重なる偶然がお便りの訳であります。
再会の折にはそんな時代の話を肴に一献傾けたいと思います。
それまでお互い元気でいましょうね。
唐突に想いだけの文章にて失礼しました。

(マイミクのKさんから。このようなメッセージを戴いた。ビックリである。
 彼とは、新宿ピットインで山下洋輔トリオを聞くことから、知り合った。
 ジャズ・コンサートのプロモートを長年やってきた彼。ぼくらは「監督!」と
 呼んでいた。野球チーム<ソークメナーズ>(山下トリオとそのフアンで結成)
 の監督もつとめてくれたからである。)