長谷邦夫はてなダイアリー・アーカイブ

長谷邦夫はてなダイアリーのバックアップです。今のところ更新は無い予定です。

本日は円盤へ

11時に風呂へ入った。今は休憩中です。これから近所で軽食して、映画でも久し振りに見るか?体調は悪くないが…気力が問題。気分が乗らなければ、部屋で3時くらいまで休んで英気を養います。7時からだが5時には現場に伺うお約束。
体の調子は悪くないが、夜遅くなることを考えて、
夕方までホテルで休憩し、5時少し前に「円盤」へ。
CDや古書を商っている、地味なお店だったが、
その中央スペースに15名近くの方がたがいらして
7時から、神谷さんの質問に答えたりする形式で
トークが始まった。
●たちまち脱線して、手塚先生のクセとか諸々の
話題がまぎれ込む。
中心はぼくのパロディがどうして描き始められた
のか?とういうあたり。
お客さんからも積極的に質問が出たりもした。
★30分休憩のあいだに12チャンネル1973年
放映の『私が作った番組』(激情No.1)テレビマンユニオン
を流す。
本に付録で付けた歌を中心に赤塚・三上寛中山千夏
青山ミチらが出演して」、その曲を歌うのだが、なぜか
『花笠音頭』の中山社中80名のおばさんたちが
踊って登場という、極端にナンセンスな構成。
ぼくらマンガ家や編集者は、セーラー服でヌード女性と
騎馬戦をやらかす。
エンディングには『ルイジアンナ』を演奏歌唱する
矢沢のキャロルが登場。
スタジオ内に大量紙テープと花吹雪〜!!
説明をしようのないアホな大騒ぎ30分番組である。
企画演出したのは、ユニオンの当時の若手佐藤輝男氏。
いまや<伝説>の一作。
◆このあと、すがやみつるサンと石津嵐サンが
のぞいたのでビックリ。パーティの帰りらしかった。
ルポライター鈴木義昭サンが、「図書新聞」に
『マンガ家夢十夜』(水声社)の書評を書いたので
その掲載紙を持ってきてくれたりだ。
彼は神谷さんともお知り合いだというので驚いた。
●終わって6人ほどで近所で一杯。
さらに新宿「ナベサン」へ移動した。
朝、6時まで呑んだ。
やはり、午後休憩しておいて正解だった。