『アバター』鑑賞
●宇都宮のシネコンへ行き『アバター』(3D・字幕)を
鑑賞してきた。
ひたすら壮大な画像に圧倒されてしまったが〜期待した
ラヴアフェアの面白味は、いまひとつであった。
立体感は充分アリで、思わず除けてしまった。(笑)
これって、大昔『ホンドー』で、インデアンが
画面真正面に向けて弓を射ると、前の客が除けて
頭を振るんだよ〜という、赤塚不二夫の言葉を
思い出したが、いまどきの自分が、そうだった!
体のそばに破片が飛んできてアブナイッ!!
★アメリカ映画はいつもシンプルだ。
音楽はいいな。
帰途、雪となった。
宇都宮では雨だったんだが。
それにしても、22世紀になっても、アメリカ軍は異星にでかけて、そこの人民を無視して資源を略奪!というパターンは、「資本主義の幽霊」を見せられるといった思いにかられる。宮崎駿的シンボルとも感じさせる生命の樹や、浮かぶ島風な記号も、あくまでも画像の夢に奉仕しているに過ぎない。作品の構造から意味を見いだすのは、徒労に終わるのではないか!
★3D世界での分身としてのアバターならば、ひみつのアッコちゃんや「半神」のユージーとユーシーが面白く感じる。何故、女性は分身に憧れるのであろうか?リボンの騎士もそうだった。未開人の王女が、22世紀のアメリカ軍のスタッフになってアフガンでテロリスト軍団と戦うことになり、ビンラデンと愛しあったら!なんてネ、ま、冗談ですが。