『寺山修司〜過激なる疾走』を観た
●高取芝居健在なり
★高取英の晴れの舞台公演を見逃すとあっては、ファンの名がすたる。炎暑が収まりかけた夏の日、上京し新宿・紀伊国屋ホールへと出掛けた。
ステージ中央に、朱色に塗られた鳥居が立つっているのを見つめつつ開演を待った。
「少年倶楽部」時代への憧憬を、寺山アングラ演劇の時代に墨流しのように、紅く紅く、
そして暗く暗黒に染めあげて、たっぷりと見せる月蝕歌劇団の芝居は『寺山修司〜過激なる疾走』である。
幼き日に、戦病死のため父親を失った修司は、過剰な母の愛に囚われ育てられた。それがゆえに<家出の思想>を持ち、文学同人誌を夢見る親友とも別れて都会へ出る。
彼が一生、子供を持たなかったのは、「自分という子供に対し、父として自分が在らねばならなかったため」だという。この論理が面白かったぜ、高取さん。
ぼくらは、今でもそうなんではないのかな。
★『あしたのジョー』の葬儀パフォーマンスは、寺山自身・彼の内部の子供を、白く燃え尽きさせようとの願いからの演劇的儀式だったんだな。それが、今回の芝居で納得出来たような気がする。
高取は師寺山の姿を借りて、彼の一生を、少年時代・青春時代・作家時代の幻影を三重露出したシュールな群像歌劇に仕立てあげ、月蝕歌劇団の総集編とでもいうべき作品を創りあげてしまった。
ホモの暗黒少年探偵団が、蒸気機関車の咆哮が、大人を狩る少年たちの撃つ銃声が、寺山の深いため息のような白煙の中で、めくるめっていく!
真っ暗な観客席通路の各所から、天井桟敷の各メンバーたちが突如甦り、、各自、手持ちのランプで顔を照らし出し、名乗りを上げセリフを叫ぶ!当時をリアルに知る人にとっても、過去の時間が今ここに実在するかのように感じたに違いない。
高取さんかっこよかったぜ!
この一夜、この二時間余の真夏の夜の夢は、終えようとして「もーいいかい」と囁く。「まあだだよー」「まあだだよー」「ま――だだよ〜」ぼくは何回も心の中で叫びつつ、新宿の街へ出た。
花園神社の赤い鳥居がちらりと見えた。おう、ここまでステージが追いかけてきたか…。ここでは状況劇場の赤テントが張られたんだった。
高取さん、やってくれるじゃないか。今夜の酒は旨そうだ。「ナベサン」へ寄るよ。
(23日〜24日)