長谷邦夫はてなダイアリー・アーカイブ

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日本マンガ学会大会・総会

武蔵小杉駅からバスで会場の川崎市民ミュージアムへ。
13時より中尾ハジメ会長の挨拶で大会が開始。
2003年度総括〜2004年度活動方針案が承認された。
映像ホールにて、14時より「マンガと江戸〜その表現と風刺精神」シンポ。
『日本人の風刺精神と戯画・風刺画』と題した紀田順一郎氏の1時間講演。
それを受けて、清水勲氏と宮本大人氏のコメントがあり、質疑応答という
流れである。
終戦直後のNHKラジオ番組『日曜娯楽版』が聴取率28%もあり
三木トリローのコントと<冗談音楽>が、落首的機能を果たしたという
ところから始まり、さまざまな歴史上の落首・落書が紹介された。
清水氏は<漫画史の中の江戸>という切り口で
1・カートゥーンのなかの江戸 2・岡本一平の江戸回帰
3・コミックの中の江戸 4・山藤章二『ブラックアングル』の中の江戸
を、画像コピーで示す。
宮本氏は、江戸期の戯画・風刺画表現に<現代マンガの源流>を見出すという
安易な見方に問題ありという立場から、見事なフォローぶりを発揮した。
明治期の「漫画」が「美術」側から、<劣等なる地口絵>として否定的に
見られていた事実を指摘し、この切断を見ておくことが大切だと言う。
紀田氏も日本の落首が<駄洒落>中心であり、欧米の<コント>的構造を
持っていなかった弱さについて補足した。

これらの滑稽画や戯画・風刺画が、ストーリー漫画とどうつながりを
持ちえたのか〜という視点へ、司会役の吉村氏が方向つけていったが、
これは、この時間内に論じきれるものではない。
ただ、挿絵的表現で絵が中心だった洒落本などが、常に文字と同居し、その
発達過程で、文字がどんどん増えていった〜という宮本氏の指摘に
ぼくは驚かされた。
日本人は絵と文字を同時意識で理解できるという(欧米人には無い)
脳機能を持っているという、養老孟司氏の前回大会での講演ともリンクして
考察すべき課題ではないだろうか。

*20日(日曜日)
マンガ学会大会会場へ。
少しはやめに到着。
そこで「谷岡ヤスジの世界展」(9月26日まで)を覗きに行く。
ケース内の雑誌展示に「まんがNo.1」もあった。
谷岡さんが、ぼくをキャラとして描いた珍しいページが、ここで
見られる!
研究発表の第二会場の最初の司会担当。
午後は第一会場で客として聴いた。
どうも今年の研究は低調で平凡だった。
数値だけで、具体性に欠けるものもあったりで、こうした内容の
ものには1時間の持ち時間が必要かも知れない。
理事の一人として、改善のための、提案をすべきかもとまで思った。
<学会>とか<研究>というアカデミズムが邪魔しているのなら
別会場で、別枠の批評会なり、作品を絞っての感想トーク・バトルを
やるとか‥。
終了後〜
理事と会場スタッフで打ち上げの飲み会。
一生消えないタトウーを彫るなら、どんなキャラがいいか?
という話で、藤本由香里さんが『ピーターパン』(ディズニー
アニメ)のティンカーベルがいいわ絶対に!と発言。
小野耕世さんが、ベルのモデルはマリリン・モンローであるという
ことを教えてくれた。
あの体形!なるほど、そうだったのか。
で、ぼくが彫るならウナギイヌかなあ〜。